一行院について

※2018年9月追記修正

はじまり

 江戸幕府が開かれてまだ間もない慶長の末(西暦1600年代初頭)。
譜代大名であった永井直勝は、現在の信濃町にあたる場所に下屋敷を拝領していました。
ちなみに信濃町という地名は、ここに屋敷を有していた永井家宗家が代々「信濃守」を称していたことに由来します。当初は信濃殿町、信濃原と呼ばれ、それがやがて信濃町になりました。
 直勝は僧侶になった家臣(来誉故念)のため、その屋敷の一部に一行院を建立します。これが現在の永固山一行院千日寺のはじまりとなりました。
 直勝の没後、その菩提を弔うために千日を単位とする万日回向の常念仏が行われるようになり、その事から千日寺と名付けられ、いつしかその周辺は千日谷と呼ばれるようになりました。


永井直勝

昭和の再建

 昭和30年代、東京オリンピックの開催が決まった東京は大規模な再開発が行われており、その一環で首都高速道路4号線が一行院の墓地の一部にかかることとなりました。
明治時代にも鉄道の敷設のため境内地を提供しており、この高速道路建設によって、開山当初2025坪あった一行院の境内地はおよそ半分になりました。
 一行院はこれを機に昭和37年に大規模な改葬を行い、墓地を納骨堂に、本堂を鉄筋コンクリート4階建てに再建しました。(完成は昭和39年)
 ロッカー式の納骨堂や、本堂を貸し会場として提供することなども、当時としては画期的なことでした。

一行院と信濃町駅 昭和37年頃

一行院 昭和37年頃

落慶式 昭和39年12月

千日谷会堂 平成27年2月

千日谷会堂と舎利塔 平成27年2月

平成の再建

昭和の再建から50年が経ち、当時最新だった建物も老朽化が進み、また、建築に関する様々な規制や耐震基準が当時より厳しくなった事から、平成27年より再建に着手。
本堂を新築し、内部に自動搬送式納骨堂を併設。既存の納骨堂は減築改修することになりました。

平成29年7月に新本堂が完成し、屋内墓苑「千日谷淨苑」の運用も開始。
翌平成30年7月に既存納骨堂の改修が完了しました。

新本堂と納骨堂 平成30年6月撮影

文化財